目が覚めた今だから言えること。

前回の続きみたいなものです。
もし、精神疾患等に偏見のある方は、読んでみてほしいです。
この記事で考えが変わらなくても大丈夫です🙆‍♀️!

前回の記事を読んでなければ、その1その2を読んでからのほうが入りやすいかもです!


うつ病に関わる「死」については
「病気の症状」のひとつだと
思ってもらえるとありがたい。

全員が全員、希死念慮を持ってるわけでないけど、消えたいと思ったり、自己否定の毎日な人は、病気に関わらず大勢いると思う。


「死にたい」
かまって欲しくて言う人もある意味含めて病気。
簡単に死にたいwというものは時と場合にもよるけどただの呟きに過ぎないだろうとは思う。



「世の中には生きたくても生きられない人が…」
という叱咤ごときで目が覚めたりするものじゃない。

時代はある意味、そんな無感情でありきたりな言葉では追いつかないと思う。

全力の励ましですら、激烈な苦痛になることもある。


死は忌み嫌われるものだけど、そこに取り憑かれる。
"そういう病気もある。"それがうつ病。
身をもって体験した。

ただ死に魅了されるとか、そんな生易しいものではない。
気持ちはとてもシンプルだった。

死にたいとそう思うだけなら、けっこう誰でもある。
そう言って発散できるなら言えばいいとさえ思う。

周りは見たくなければ自然と離れるし、その人たちが感じた嫌悪感はわりとすぐ忘れる。いや忘れて欲しい…笑

そうやってここまで来て、自分にとことん付き合ってくれる人がよくわかって、ああ大事にしよう、悲しませてはいけない、と思えるようになる。

だからこそ自分が居なくなったら悲しむ人の顔が浮かんで、自分で入院したいと言えたけど、だからこそ危険だとも思った。

悲しませないように、誰にも見つからない場所でひっそり静かに…となってしまう。

元気に振舞って突然逝ってしまう人の典型。

私にはそういう、元気そうなのに逝った知り合いや、完全にうつで逝った知り合いもいたし、その2人の姿があったから持ちこたえられたかもしれない。

自ら最期を選択して、遺された者の衝撃と悲しみは言葉にできない。
気持ちがわかるから、その選択を一切責めはしなかったし、かと言って肯定もしない。




いろんな形のうつ病があるけれども、もし、死にたいと言って死なない人がいても「かまってちゃん」なんて言わないであげてほしい。
あきらかなかまってちゃんもいるけども。
本人にとっては本気かもしれない。
パッと見ではわからない。
大切な人のためにどうにか持ちこたえてる人かもしれない。

死んだら「本気だったんだ…」なんて言わないでほしい。

特別声をかけろというわけではない。
励ませ、優しくしろ、甘やかせ、そういうことじゃない。
ほっといて気が楽になる人もいる。

私は周りにはお世話になりっぱなしだけど。


ただ、偏見だけは、少しでいいから溶かしてほしい。
未だにうつは甘えだと思ってる人がいる。
それは理解できないから当然のことだと思う。
だから理解できない人を責めたりはしないけど、偏見を口にするときは別。

"そういう病気もある"
これが難しいのだろうけど
それだけでいい。


精神疾患でしんどい人たちの心が少しでも楽になりますように。

Nao-タゾクセイ- by CandyLip

万年メンヘラ余暇人生のTシャツデザイナー &ハンドメイド作家が 日々の生活の中で思ったことを なんとなく不定期にぼやくブログ化しました。 物書きではないので長文駄文まみれです。 お暇な方の、少しの暇つぶしになれば幸いです。

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